目次

1.はじめに

占い鑑定カウンセリングにお越しいただいたクライエント様、お客様には、「どうして占い師になったのですか?」とかれこれ3000人以上の方には訊かれております。理由は大きく分けて3つございます。

「20代初めに回復不可能と言われた大病を患った事」

「元々占いやスピリチュアルな事が大好きだった事」

「現役の占い師との出逢い」が複合的に絡み、現在に至ります。

大病の事は、もう30年近く前の事ですので、だいぶつらい記憶も薄れてきましたが、いろいろ話すとかなりドン引きされるかと思います。同じような症状で苦しんでいらっしゃる方やそういったご家族のいらっしゃる方にだけ、少しでも復帰への参考や励みになるかなとお話しています。

一番には、20歳頃回復不可能と言われた病気を患った事が自身の人生観も変え、サポートされて回復できた側から、人をサポートしていく側になろうと、辞めずに長年続けてきたことが大きなきっかけの一つかと思います。

それに加え、小さい頃から不思議な事や心理学、占いが大好きでした。よく大人が読むようなそういった本を読んでおり、学生の頃はクラスの友人を占ったり、相談にもよく乗っておりました。

授業中に手紙を回すことが普通に流行っていましたが、今日はこんな夢をみたので診断お願いします、とか毎日来て占っていたりしました。
占い本も何冊も教室に置いておいたりして、その頃から「占い」が、私にとってよいコミュニケーションツールになっていたと思います。
また、中学生のときには、「心理学クラブ」というクラブがあり、入ってみたら実際は占いをするクラブでした。
先生が毎週占いや心理学などの資料をプリントしてきて、みんなで今日は手相占い、星占い、そんなクラブに所属していました。

病気回復後は、少しずつ順調に社会復帰のステップを踏めて、その後会社員なども経験する傍ら、自分の理想と、現実の競争社会と何かが違うとも感じながら過ごしていた矢先、プライベートで親しくなった方が占い師をしており、私が読んでいた本がかなり専門的な本だったのにびっくりし、「とても向くから占い師になったら?」とかなり強引に勧められて、その後占いの学校にも多数通いました。

また、20歳に患った病気から奇跡的に回復したことが、深くつらく傷ついている人に、私なら同じ気持ちを共感できて、寄り添ってあげられるのではないかと思ったことも大きいです。

その後、2003年には、セラピー系老舗出版社(バシャールを日本で最初に紹介した出版社)の国内外講師のプログラムディレクターの傍ら、占い師デビュー、2005年には、銀座、新宿、渋谷、原宿、吉祥寺、新小岩の占いの館に何か所も所属をし、フルタイムの占い師として、占い鑑定の研鑽を積み、その頃から雑誌等の占い原稿執筆やTV出演等メディア等も増え、その後東京吉祥寺にて独立開業をし、2023年で占い師歴20年、開業16年目で今に至ります。

きっかけは複合的に絡んでおりますが主に上記3点が重なったのが大きいです。フルタイムの占い師になってからは、週8か所の占い館所属という、無謀とも思えるハードな勤務に加え、学研をはじめ大手出版社からも占い原稿の連載のお仕事も多数増え、完徹などは当たり前で、プライベートは皆無の30代を過ごしました。

ご依頼のあるお仕事は断らないスタンスで働き出したところ、気づいたら週8か所の占いの館で鑑定という無謀な働き方をしました。そのうち週3は、夜中の2時まで占い鑑定をしたおかげで、短期間に鑑定の場数をこなし、経験値を積め、リピーターも多くついてきて、また自分なりの鑑定カウンセリングメソッドを作る事ができました。所属させていただいた占い館には深く感謝しております。

フルタイムでの占いの仕事をはじめたあたりから、占い原稿執筆のお仕事にも恵まれました。おかげで何とか占い師一本で食べていく事ができるようになっていました。

占い師となった私の生い立ちを記載します。

2.幼少期~高校時代

私は、昭和40年代、関東で生まれました。実家は、いわゆる士業で、専門的な指導をし、また専門的な相談に乗る仕事を営んでいました。父は創業者で、母も一丸となって、いつでも仕事の話題をしており、時間外でも顧客からの相談の電話が絶えなかったのを覚えております。

四六時中、従業員の悩みや仕事の話ばかりをしている両親をみて、働くってそんなに大変な事なのだろうか、しっかりと責務を果たさなければと思っていた記憶があります。

その頃の私は、自営業で身を立てるとは思っておりませんでしたし、また専門こそ違いますが、クライエントに寄り添って相談に乗る仕事は、また似ている部分もあるので、不思議なめぐりあわせを感じております。

毎年通知表には、明るく快活とても子どもらしい子どもと書かれ、しかしお片付けは苦手と書かれ、田舎でのびのびと過ごしました。小学校から、吹奏楽部に所属をし、トランペット、サックスなどを毎日吹き鳴らし、中学高校の頃は、バンドやアーティストに夢中になっていた学生期でした。

またそれと並行して家では、小学生の頃から占い本をボロボロになるまで読んだり、また占いや精神世界系については、亡き父が興味をもっていたお蔭で、哲学書から宇宙、精神世界に至るまでの本が家の書庫にあり、自然と手に取っていた記憶がございます。

高校は、志望していた学校に不合格となり、これが最初の挫折でした。県外の高校へ行きましたが、生徒の教育を重んじるより、学校の体裁ばかりを気にする校風が肌に合わず、自転車、電車、バスの往復3時間半の通学もストレスを溜めていた3年間だったと思います。

田舎でしたので、電車も30分に一本で、乗り換え時には時間が余るので、毎日本屋に立ち寄り、見ていたコーナーは、音楽かスピリチュアルや占いのコーナーにいくのが常でした。 購入しようと思うと、実家の書庫にある的な感じもよくありました。また、高校時代には、占ってもらうより、占いの本を読んだり、パソコン通信(インターネットの前身、ニフティサーブ)で占いのフォーラムを覗いたりしていました。

3.上京、大学、大病を経て

団塊ジュニア世代で、この当時は、クラスのほとんどが高校卒業後は浪人の時代でした。18歳で憧れの東京に上京し、寮生活をはじめます。

最初こそ真剣に勉強していたものの、気の合う仲間との生活と都会の生活が楽しすぎて、勉強はおろそかになっていきました。その頃は大学よりも音楽に熱を持っており、音楽を仕事にしたいという思いも強くなっていきました。

そんな状況での再受験がうまくいくはずもなく、またしても滑り止めの大学しか合格せず、とりあえずは入学しましたが、本当にやりたい音楽も踏み出す自信もなく、理想と現実のギャップは開き、満たされない日々を過ごしていました。そんな最中、突然病に罹ります。
病気の事では、家族には多大な迷惑をかけました。

父は今の仕事を辞めてもいい、母は死んでしまったほうがまし、兄には今後生涯なんとか両親が死んでも私の面倒をどうにかみれるように話し込んだと後から聞かされました。

詳細を話したらキリがないのですが、びっくりされてしまう経験をしています。同じような状況に遭った方にだけ、励みとなるかと思い、鑑定の際などお話しています。

まだ今のようにインターネットなどもなく、情報も乏しい時代でした。家族はこれからどうなるのか生きた心地はしなかっただろうと想像します。
医者からは回復不可能と宣告されました。家族は、絶望的な気持ちだったかと思います。医者にそう言われても、医者は私の人生に責任を持ってくれる訳ではなく、治せるならと藁をもすがる思いだったかと思います。両親は、いろいろ調べて遠方までさまざまなところにいきました。(念のため、そこに新興宗教はありませんでした)

数年の療養後、家族や様々な方の献身的なサポートの甲斐もあり、親身になってくれる名医とのアドバイスから、負担のないアルバイトからはじめ、社会復帰も出来、やりたかった音楽活動、再上京、区役所勤務など順調に回復していきました。

社会復帰できた理由は、家族や周りの人が一丸となって必死だったこと、年齢が若く、これから社会に出る時期と重なった事など様々な理由からかなと思います。だいぶ前の事なので、忘れがちににはなっておりますが、本当に支えていただいた家族、お医者様、その他大勢の方には一日も忘れることなく感謝をし、社会に還元していただけたという思いを持ち続けたいと思います。

病気こそが、私の生きる価値観を180度変える大きな契機となっており、また人をサポートしていこうと占い師、カウンセラーとして長く続ける基となっているのは言うまでもありません。これを超える体験は30年弱経った現時点もありません。この経験を通して以前では当たり前と思っていた事も、どんなことでも感謝ができるようになったかと思います。

もう二度と、あのような体験はしたくありませんが、あのような体験ができたからこそ、いろいろな気づきがあり、価値観人生観が変わり、怖いものがなくなったとも思える貴重な体験でした。同じようにおつらいご状況の方たちに寄り添える自信もこの体験を通して、いやというほど得ました。

4.会社員時代

病気回復後は、区役所での臨時職員をしながら音楽スクールに通い、プロの音楽家を目指していました。今思えば若気の至りで、25歳までは夢見がちなところがあり、あまり現実的に将来の事を考えていませんでした。

しかし、25歳を過ぎたあたりから求人も減るのを実感し、目指しているのはつかめそうでつかめない不確定な夢でもあり、現実的に将来の事をしっかり考えていく必要も出てくるなと思った事を覚えています。

その頃はまだ音楽をやっていた事もあり、レコード会社に就職をします。しかし、小さなレコード会社だったこともあり、入社してみたら、経営はずさんで、社内のコンセプトがブレはじめ、以前のスタッフがごっそりやめたり、今でいうブラックではありました。勤務中に倒産になってしまいました。

そこからは、どんな仕事が向くのだろうと自分を見つめる作業や、就職支援会社が主催するアセスメントなども多数受けたりしてみました。分析の結果、しっかり専門スキルを培おうと思い、SEなどを目指して、システム会社に就職をしました。

今後は、この道でベンター資格などを取得し、システム畑で生計を立てていこうと自分なりにキャリアプランを考えていました。しかし、この最中、今後の人生の方向性を変える出逢いが訪れます。

5.占い師志望~占い修学時代

倍率50倍だったシステム会社に晴れて入社をし、必死で専門的なスキルを磨き、システム関係の資格などを取得していこうと躍起になってはいたものの、競争ばかりの現実と自身の理想とするものの乖離も感じておりました。そんな矢先、プライベートで占い師との出逢いがありました。

本来ならよく占ってもらっている占いの先生との出逢いとのほうがドラマティックなような気がしますが、完全プライベートで飲みにいったバーで知り合った占い師の方と意気投合をし、そこからまた人生の切り替しが起こります。

毎夜残業でヘトヘトの私を見かねたのか、また、占い師が向いていると占い師の直観で見染めたのか、とても占い師に向くから会社を辞めて占い師になれと、かなり強引に会社を辞めろと言われました。

今思えば、若気の至りというか、これから一人前という矢先にせっかく入れた会社を辞めてしまいました。辞めてしまってから後がないと後悔もしました。しかし、それがおしりに火が付いた状態となり、必死で占いの勉強をする契機ともなり、占いの学校に多数通いました。その後デビュー後もなんとか形にせねばというモチベーションに寄与してくれたのでした。

占い修学の傍ら、日本で老舗の精神世界系の出版社に再就職をしました。
バシャールをはじめて日本で紹介した会社、チャネリングやNLPやヒプノセラピー、リモートビューイング、サイキックリーディングなどの海外講師を招いてセミナーをする教育事業部にてプログラムディレクター職に就きました。その経緯で、各種セラピーを多数マスターしました。

プログラムディレクターとして多数セラピーを学ぶ傍ら、西洋占星術とタロットを本格的に習い始めました。

占いを学ぶうちに、とても当たっており、またかなり論理的で奥深い学問であることにも感銘を受けました。

またセラピー講座のディレクションをしていく中でも、精神世界の根本にあるのは、占星術ということも知り、いろいろ相関関係もあり、ハマっていき、今に至ります。

6.占い師デビュー、銀座、渋谷、新宿、原宿、吉祥寺、新小岩での占い館での占い研鑽の時代

占いのセミナー終了後、よく占い仲間とお茶をしていて、その席で占い館に所属している友人に誘われ、面接を受けたところ、即採用となり、人手が足りないので、いきなり、渋谷、新宿、原宿、新小岩と週4勤務になりました。

当初自分の中では、占い鑑定は、人のセンシティブな悩みを聴くお仕事ですし、精神的にも疲れるかなと思っておりましたので、週2くらい勤務をして、それ以外は別の仕事をしようと思っておりました。週4は想定外でした。
原宿店で、また違う占い館に所属している占い師の先生に吉祥寺の占い館も人手が足りないと紹介されました。

しかし手前で週4が決まってしまったので、吉祥寺のお店は連絡を取るのを躊躇していたところ、偶然そのオーナーと遭遇してしまうというとても運命的な事が重なり、次の日面接となったところ、そちらで週2になり、その後週3となり、もう一つ別の吉祥寺の占い館でも人手がいないからと週1となり、週8か所で占い鑑定漬けとなりました。

お休みのないまさに週5ではなく週8か所の正真正銘の「フルタイム」となりましたが、かなりの場数を短期間にこなしたせいで自分なりのメソッドが確立していき、またそんなに毎日占いをしていたせいも相まって急速にリピーターもついてきて、ご予約もいただくようになり、なんとかギリギリ生活できるまでになりました。

また、フルタイムになってから、学研などをはじめ大手の出版社からも多数占い原稿執筆や取材もたくさんお受けする流れとなりました。
さらに、長年後進の指導として産経学園をはじめ、西洋占星術、タロットの講座も多数開催しております。教え子でプロとして活躍されている方も多数おります。


占い師は副業という方も多いですが、あながち間違っていないと思います。なぜなら、毎日人の悩みを聞く仕事なので、メンタルが持たない、完全実力社会で歩合制で大変な割には稼げない、社会的には、占い師というと、社会的信用度が低く、引かれてしまったり、胡散臭い仕事などと一蹴されてしまう事も多々あります。

しかし、副業ですと、週1,2回でどこかに副業だからという逃げも出て、研鑽に努めない人もいたのは確かでした。そのような人がほとんどの中、後がないのと、シングルで経済的に頼れるパートナーがいるわけでもないので、なんとかしっかり生活ができるようにと必死でした。

また、年齢が若い事はこの業界では不利と言われております。童顔で年が若く見られることももあり、貫禄がなく見た目にも不利と言われていたので、もっと深い知識をと占いの修学をとにかく極める事とカウンセリングのスキルアップや場数をこなす事に励むしかないとの必死の思いでした。

フルタイムで占いをした経験が後に活きていく事になりました。あとは、病気を乗り越えがおかげで、何かトラブルがあっても、あのときの病気に比べたら大した事はないとメンタルが強力になっていたのでした。

鑑定の場所によっては、簡易的な占いをして薄利多売のいわゆる「観光占い」のところもございました。
最初はそれでよかったのですが、何年かしますと、段々と悩みの奥深く根本まで追窮したい、しっかり学んだ占いやカウンセリングをもっと生かしたいという自分の理想と現実の乖離が起きるようになってきました。そのことではどうしていくべきかと結構悩みました。

そんな矢先に、所属しているところで多々ナンバーワンとなり、場所によってはオーナーよりも予約が入ってしまう事態となっていました。
この先を考えたときに、自分の理想とする悩みの根本まで追窮する深い鑑定をしていきたいという思いも強まり、またリピートのお客様も多数抱えるようになった経緯から、自然と独立開業しようという思いになりました。
運勢的にもやはり今が一番だという経緯も後押しとなり今に至ります。

7.占いカウンセリングサロンインスパイア吉祥寺を独立開業~現在に至るまで

悩みの奥深く根本まで追窮したい、しっかり学んだ占いやカウンセリングをもっと生かしたいという自分の理想を実現すべく、期待と不安の中、2007年に独立開業をしました。運勢的にもやはり今が一番だという経緯も後押しとなり今に至ります。

最初は、サイトも作成せず、一人で運営しておりました。
大学に再入学するあたりから、以前所属していた占い館の友人などから、所属したいと打診があり、募集をしていないのに、他メンバーが集まり今に至ります。

サロンでは、
占い鑑定をメイン
各種セミナー講座開催
占い、心理原稿執筆
イベント派遣占い師の紹介等

リーマンショック後から深刻な雇用の相談、今後をいかように生きるべきかの相談が多くなり、占いだけでなくもっと体系化されたメソッドが必要だと痛感したところから、2012年に大学への再入学を果たします。受験期には、書籍執筆『パワーストーン事典』マイナビ刊のオファーも重なり、一旦受験は諦めようと思いましたが、諦めるのは簡単と思い、書籍執筆と並行して受験勉強、鑑定、雑誌寄稿と一日のノルマが終わるまでは朝9時になっても帰宅しないと決め、それらに勤しむ日々でした。

大学では、一般教養をはじめとして、心理学、発達心理学、キャリアカウンセリング、キャリアデザイン学、コミュニティ学、教育学、経営学、など学際的に領域横断的に学びをしました。今の仕事に役立つものばかりでした。

授業終了後は、すぐに鑑定をこなし、午前様からレポートや試験勉強と原稿執筆をし、完徹が毎度のような怒涛の生活を送りました。自分に子どもがいたら同年代であろう現役生と肩を並べ、かなりアウェーな存在でしたが、現役生に後れを取ってはならぬとしっかり学んだところ、成績優秀者に一年時の成績で選ばれました。これは想定外でした。とりあえず経営と鑑定や執筆、講座もあるので、成績はそこそこで4年で卒業ができればが当初の目標でした。
しかし、周囲は喜んでくれて、来年もがんばれといわれましたが、私の中では休みのない中、かえってそれらはプレッシャーになり、2年の夏あたりにぐったりと疲れたのを記憶しております。
しかし、とりあえず連続で成績優秀者を目指そうと思い、3年連続で成績優秀者に選ばれ、4年生時には、ほとんど単位も履修したので、授業で履修をしたキャリアカウンセリングの国家資格を取得するため、ダブルスクールで専門学校にも通い、無事こちらも一発合格を果たしました。それで大学も無事卒業となりました。

2020年からは、早矢の占いチャンネルYouTubeを開設し、毎週動画配信をしています。あまりYouTubeを観る習慣がなく、始めてみたらとても大変でした(;^_^Aが、最近ようやく慣れてきつつあります。ご視聴いただきましてありがとうございます。

2020年天文暦検定、合格

2023年8月 単行本を只今執筆中!!

以上です。最後までお目遠しいただきまして、ありがとうございました。

ここに至るまで、多くの方々のお世話になりました。これからも感謝の気持ちを大切にし、お世話になった方々への恩返しを忘れず、占い、カウンセリングの修学、研究、研鑽はもちろんの事、カウンセリングサロンインスパイア吉祥寺を運営してまいります。

質の高い鑑定カウンセリング、占いやカウンセリングの研鑽や研究、占いコンテンツ、占い原稿執筆、イベント企画、講座セミナー等、謙虚に精進したい一心でございます。

すべての存在と真摯に向き合い、感謝の気持ちを忘れず、日々暮らしていきたく思っております。今後ともご指導ご鞭撻のほどを何卒よろしくお願い申し上げます。

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